【のうぼうの城】甲斐姫のその後!史実ではどんな人生を歩んだのか?

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映画「のぼうの城」は、「のぼう様」と呼ばれる成田長親に、城主の娘である甲斐姫が密かに想いを寄せるという設定です。
「のぼうの城」では、甲斐姫を豊臣秀吉の側室として差し出すように要求され、成田長親は戦うことを決意します。
甲斐姫のその後はどうなったのでしょうか?

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甲斐姫は東国無双の美人!忍城の戦いでは鎧兜を身につけて出陣した

映画「のぼうの城」で榮倉奈々さんが演じた甲斐姫は、「東国無双の美人」と呼ばれていた女性です。
武芸や軍事に明るく、「男子であれば天下に名を成す人物になっていた」と評されています。
忍城の城代であった成田泰季が他界した際、甲斐姫が成田長親を総大将として任命しています。

忍城の水攻めが失敗に終わり、浅野長政の軍勢が攻撃を仕掛けてきました。
浅野勢が本丸に迫る勢いを見せたため、報告を受けた成田長親は出陣しようとします。
その時、成田長親を押し留めたのが甲斐姫でした。

甲斐姫は、自ら鎧兜を身につけ、成田家に伝わる名刀「浪切」を携えました。
そして、200余騎を率いて出陣しました。
甲斐姫は、浅野勢の侵入を阻止することに成功し、多くの武将を討ち取ったとされています。

→関ヶ原の戦い!本当の裏切り者は誰!?戦はなぜ起きて西軍はなぜ負けたのか?

甲斐姫は豊臣側の武将を弓矢で討ち取った!忍城開城の際は甲冑を身につけて城を後にした

その後、浅野勢に真田昌幸・信繁父子が加わりました。
成田勢は、真田の兵に出城を攻め落とされ、多くの死傷者を出しました。
成田勢は、他方面でも豊臣側の軍勢と対峙しているため、援軍を派遣することができませんでした。

甲斐姫は、両軍による激しい戦闘が行われていた持田口に加勢しました。
本丸から200余騎を率いて戦いに加わった甲斐姫は、三宅高繁という武将と対峙しました。
そして、三宅高繁を弓矢で討ち取ったと伝えられています。

その翌日、北条氏直が豊臣側に降伏し、小田原城の受け渡しが行われました。
その後も忍城の成田勢は籠城を続けましたが、城主の氏長が忍城開城を指示しました。
城代の成田長親は開城を決断し、甲斐姫をはじめとする女性たちも甲冑を身につけて城を後にしました。

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→清須会議(清洲会議)とは何?集まった武将と本能寺の変との関係性

忍城を退出したその後の甲斐姫!武勇伝を聞いた豊臣秀吉が側室として召し抱える

忍城を退出したその後、成田家は蒲生氏郷に預けられる身となりました。
蒲生氏郷は、成田家に会津領内の福井城の守備を一任し、1万石の采地を与えました。
伊達政宗の軍勢が会津領内の塩川に侵攻するとの情報が入り、成田氏長は家臣を率いて塩川へ出陣しました。

福井城の留守役を任せられた浜田将監と浜田十左衛門の兄弟が、謀反を企て、成田家の譜代の家臣や氏長の妻を殺害しました。
この一報を知った甲斐姫は、浜田兄弟に対して怒りを露わにしたと言います。
甲斐姫は十数人を引きつれ、200余人を有する浜田十左衛門の兵に向かいました。
一旦は追い詰められたものの、反撃に転じた甲斐姫は、浜田十左衛門を追い詰めてその首を討ち取りました。

その後、浜田将監とも対峙した甲斐姫は、将監の右腕を斬り落として生け捕りとしました。
将監は磔のうえ斬首となりました。
甲斐姫の武勇伝を聞いた豊臣秀吉は、甲斐姫を気に入り、側室として召し抱えることになりました。
その後の甲斐姫の生活ぶりは定かではありませんが、慶長3年3月15日に京都で行われた醍醐の花見の際、甲斐姫が詠んだとされる歌が残されています。

→映画のぼうの城は実話だった?成田長親とはどんな人物だったのか!?

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