陸王・茂木裕人のモデル瀬古利彦!どんなシューズを履いて走っていたのか?

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どうもサブローです。「陸王」に登場する人物の中で、話題になっているのが茂木裕人ですね。陸王を履いてくれるかどうかで、ドラマ序盤は毎回ドキドキしました!

地味そうで実は華がある選手を、竹内涼真が好演しています。
茂木裕人のモデルとして有力視されているのが、今は解説者として活躍している瀬古利彦さんです。

瀬古利彦さんは、1970年代後半から1980年代にかけて日本のマラソン界を牽引した選手です。瀬古利彦さんの選手時代を重ね合わせると、茂木裕人が生き生きと見えてきます。

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実業団陸上部に所属する以前は駅伝で活躍していた

茂木裕人は、ダイワ食品に入社して陸上部に所属する以前は、箱根駅伝で華々しい活躍をしていたという設定です。
「大学時代に箱根駅伝で活躍して注目を浴びた」というキーワードが重なるのが、瀬古利彦さんです。

瀬古利彦さんは、中学生の頃から陸上を始めました。
もともとは野球少年でしたが、中学1年生の時に校内の5km走大会で優勝し、陸上部より懇願されて大会に出るようになります。

高校は、陸上競技の強豪校である四日市工業高校に入学します。高校時代には、全国高等学校駅伝競走大会において3年連続で「花の1区」(10km)に出場します。

瀬古利彦さんがマラソンに転向したのは、早稲田大学に入学してからの事です。
生涯の師となる中村清監督から、「君、マラソンをやりなさい」と勧められ、中距離から長距離に転身します。

箱根駅伝では4年連続で「花の2区」を走ります。当時、瀬古利彦選手のライバルだったのが、宗兄弟でした。箱根駅伝での華やかな実績を評価され、瀬古利彦さんは大学卒業後にヱスビー食品に入社します。

実業団陸上部で活躍しだした頃に怪我をして長期間苦労する

「陸王」の序盤は、茂木裕人が怪我で陸上人生最大のピンチに見舞われた、苦悩が描かれています。陸上人生に終止符を打ちかねない怪我をしてしまい、走法を変えても、会社やサポート企業から冷たい仕打ちをされてしまいます。

そうした茂木裕人に寄り添って行こうとするのが、こはぜ屋です。

マラソン選手として業績を残し始めた頃に、怪我をしてしまったというキーワードも、瀬古利彦さんは当てはまります。瀬古利彦さんは、オリンピックを目指して実績を積み重ねていた頃、調整のために行ったヨーロッパ遠征で、足を捻挫してしまいます。

長らくその理由は明かされていませんでしたが、最近になって、瀬古利彦さんは、ノルウェーの公園で日光浴をしていた女性が、日本人の思いがけない姿だった事に驚き、気を取られたためだったと明かしています。

この捻挫が発端になり、足の故障や膝の故障が続き、1年10ヶ月の長きにわたり、瀬古利彦さんは離脱を余儀なくされます。

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怪我から奇跡的な復帰を遂げる

「陸王」の見所の一つが、茂木裕人の復活です。サポート契約を打ち切る際に、怪我から復帰した選手が居なかったというデータを、アトランティス側が茂木裕人に突きつけるシーンがありますね。

前途を閉ざされた形になった茂木裕人が、走法を変え、新しい走法にマッチした足袋型シューズを履く事で、見事に復帰します。

マラソン選手にとって致命的な怪我をしつつ、練習を続けて遂に復帰を遂げた事で、話題になったのが瀬古利彦選手です。
瀬古利彦選手は、故障から1年10ヶ月後の1983年(昭和58年)2月の東京国際マラソンに出場します。

そして、見事に優勝を果たします。この時の記録は2時間8分38秒。日本最高記録でした。

シューフィッターのサポートを受けていた

茂木裕人は、市川右團次演じる村野尊彦のサポートを受けて、復帰を果たします。
「陸王」では、茂木裕人にシューフィッターとして最善の対応をしようとして、村野尊彦が上司とぶつかり、アトランティスを辞めてしまいます。

そして、こはぜ屋に移って、シューフィッターとして茂木裕人をサポートし続けます。シューフィッターのサポートを受けて怪我から復帰したという点で、瀬古利彦選手は重なります。

故障して前線から離脱していた期間も、瀬古利彦選手は、練習を続けました。
怪我をした足に負担がかからないシューズを用意したのが、アシックスのシューフィッター・三村仁司氏です。

三村仁司氏は、トップ選手それぞれに合うオーダーシューズを作っていました。瀬古利彦選手にも、別注シューズを用意していました。

瀬古利彦が履いていたのは×××シューズだった

「陸王」では新素材シルクレイの開発が一つの見所でしたが、アシックスのシューズが有名になったのも、ソール面の改良によるものでした。
素材は新しいものではありませんでしたが、アシックスは、ゴムを網目状にして合成皮革を貼り付けました。それにより、軽くて足に合うマラソンシューズになりました。

また、瀬古利彦選手のサポートをした三村仁司氏は、シューズの甲の部分をポリエステルに変更したシューズを開発していました。この工夫によって、それまでのランニングシューズより、50g以上軽いシューズが出来上がりました。

瀬古利彦選手は、ロサンゼルス・オリンピックに向けた練習で、軽量化を実現したシューズを履いていました。

ただし、当時絶不調に陥っていた瀬古利彦選手は、試合直前に「綿のシューズを履いて負けた事が無い」と縁起を担ぎます。

そして、三村仁司氏の開発したシューズではなく、210gある従来の綿のシューズを履いて、ロサンゼルス・オリンピックに出場しました。結局、瀬古利彦選手は、この時、14位に終わっています。

瀬古利彦選手は、後日、初めて経験する夏マラソンにいつもの経験とリズムが掴めなかった事を、最大の敗因としてあげています。

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