【いだてん】たけし演じる古今亭志ん生の史実!どんな落語家だったのか!?

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いだてん 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

2019年のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』は、日本が初参加した1912年のストックホルム五輪から1964年の東京五輪までを描きます。
その進行役を務めるのが、「落語の神様」と呼ばれた古今亭志ん生(ここんていしんしょう)です。

ドラマでは、青年期を森山未來が、壮年期以降をたけしが演じます。
たけしが演じる古今亭志ん生はどんな落語家だったのでしょうか?

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父親も若い頃は道楽者だった!?父親を怒らせて15歳の頃に勘当される

古今亭志ん生は、1890年(明治23年)6月5日に東京神田で生まれました。
父親は、元徳川直参の旗本・美濃部戌行(みのべ・もりゆき)です。
戌行は、若いころ道楽者で、跡を継ぐのを嫌がり、町人の頭に結い直していたような人物でした。

戌行の末子として生まれた古今亭志ん生は、「孝蔵(こうぞう)」と名付けられます。
孝蔵は、11歳で小学校を退学させられ、奉公に出されました。
その頃、美濃部一家は浅草に引っ越します。

ある日、孝蔵は博打の借金のかたに、父秘蔵の煙管を質に入れてしまいます。
激怒した戌行は、槍を持ち出し、孝蔵を勘当しました。孝蔵はこの時、15歳前後でした。

以来、孝蔵は実家に寄り付かず、親兄弟の死に目にも会いませんでした。

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セミプロの頃に刺青を入れる!真打のお披露目でもみすぼらしい身なりだった

実家を出た孝蔵は、「天狗連」という素人やセミプロの芸人集団に出入りし始めます。
1907年(明治40年)頃に三遊亭圓盛の門で「三遊亭盛朝」を名乗りますが、まだセミプロでした。
この頃、左の二の腕に般若の刺青を入れています。

1910年(明治43年)頃、2代目三遊亭小圓朝に入門し、「三遊亭朝太」を名乗ります。
1916年から1917年(大正5年から6年)頃、「三遊亭圓菊」を名乗り、二つ目になります。
1918年(大正7年)、4代目古今亭志ん生門に移籍し、「金原亭馬太郎」に改名しています。

1921年(大正10年)9月に「金原亭馬きん」を名乗り、真打に昇進しました。
真打のお披露目は、通常、一門のしきたりに従った洒落た着物をまといます。

しかし、「金原亭馬きん」はみすぼらしい身なりで、話芸だけで客を引きつけていました。

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一時は落語界での居場所を失う!16回目の改名で古今亭志ん生を襲名

1924年(大正13年)、「3代目古今亭志ん馬」を名乗ります。
しかし、当時の実力者だった5代目三升家小勝に盾突き、落語界での居場所を失います。
謝罪して落語家に戻り、初代柳家三語楼門下に移ります。

しかし、今度は師匠の羽織を質入れしてしまい、顔を出せなくなります。

詫びがかなって復帰しましたが、前座同然の扱いで貧乏に苦しみます。
この頃は、「5代目志ん生」を名乗っていました。
5代目志ん生は、腕はあっても愛嬌がなく、仲間内や寄席の関係者から軽んじられ、場末の寄席を回っていたと言います。

1932年(昭和7年)、再び「3代目古今亭志ん馬」を名乗るようになり、この頃からようやく少し売れ始めます。
「5代目古今亭志ん生」を襲名したのは1939年(昭和14年)です。
「朝太」から「古今亭志ん生」まで16回改名しています。

1941年(昭和16年)、神田花月で月例の独演会を開き、客が大勢詰めかけるほど好評でした。

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満州から辛くも帰国して芸も人気も勢いを増した!たけしが語る凄さとは?

1945年(昭和20年)、陸軍から慰問芸人の取りまとめの命令を受けた松竹演芸部の仕事で、古今亭志ん生は満州に渡ります。
満州で終戦を迎え、帰国できなくなり、現地で引き揚げ船の出航を待ちわびながら、厳しい生活を強いられます。
帰国できたのは1947年(昭和22年)1月12日でした。

古今亭志ん生の帰国はニュースに取り上げられ、後は一気に芸も人気も勢いを増しました。

『いだてん』で古今亭志ん生を演じるたけしは、古今亭志ん生について、

「高座に上がると、何をやってくれるかはわからないけど、客はもうそれだけでいいと思ってるフシがあるからね。座布団に座った瞬間、『うう〜』って言ってるだけで、絶対に何かやばいことを言い出しそうなんだ。」

と語っています。

1956年(昭和31年)12月、『お直し』の口演で芸術祭賞を受賞します。
1957年(昭和32年)、落語協会4代目会長に就任し、1963年(昭和38年)まで会長を務めました。
1961年(昭和36年)、口演中に脳出血で倒れ、3ヶ月の昏睡状態の後に復帰します。

1968年(昭和43年)、精進落語会への出演が最後の高座になりました。
この時、「二階ぞめき」を演じていたはずが、途中で「王子の狐」に変わってしまったことをマネージャーである長女に指摘され、以降高座に上がらなくなります。
1973年(昭和48年)9月21日、自宅で逝去。享年83。

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