タイタニック号は、沈没事故から73年後の1985年に発見されました。
沈没事故から100年後に、乗客の手紙も発見されています。
しかし、タイタニックの沈没事故の真実に迫るには、多くの謎が残されています。
タイタニックの真実として語られている都市伝説をご紹介します。
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沈没の原因は氷山との衝突だけじゃなかった!火災によるところが大きい!?
タイタニックの沈没事故の原因は、氷山との衝突とされています。
しかし、タイタニックの専門家であるセナン・モロニー氏は、航海に出る前に撮影されたタイタニックの写真を公開しています。
そして、船体の側面に黒い焦げ跡があると指摘しています。
モロニー氏は、船の沈没の原因は、氷山との衝突よりも、火災によるところが大きいのではないかと指摘しています。
航海前の火災によって船の構造がすでに脆くなっており、そのために氷山との衝突が沈没につながったのではないかと話しています。
オハイオ州立大学工学部のロバート・エッセンハイ教授も、タイタニックの船員が船の速度を上げようとしたのは、大規模な火災が発生したからではないかと指摘したことがあります。
科学専門誌「サイエンス・デイリー」は、エッセンハイ教授の理論を次のように紹介しています。
「船の速度を上げたということは、何か重要な理由があるということです。例えば石炭庫で火災が発生し、航海中は火災がそれ以上広がらないように食い止めて港に着いた後で消そうと考え、急いで速度を上げたのかもしれません。」
→カズオイシグロのわたしを離さないでは本当に実話を元にしているのか?
タイタニックの沈没は予言されていた!?作者は後にピストル自殺をしている
タイタニックが沈没したのは1912年4月15日2時20分です。
タイタニックの沈没事故の後、一つの小説がにわかに注目されました。
沈没事故の14年前の1898年に発表された『フューティリティ〜タイタン号の遭難』という小説です。
作者はイギリスの作家モーガン・ロバートソンで、絶対に沈没しないとされた豪華船タイタン号が大西洋を行く処女航海で氷山に衝突するという物語です。
タイタン号の排水量は7万5000トン、全長約240m、プロペラ数3個、救命ボート24艘と、実際のタイタニック号と非常に近い設定でした。
タイタン号は、4月にサザンプトン港から出港し、速度25ノットで氷山に衝突し、多数の犠牲者が出たという筋書きです。
まさにタイタニックの沈没事故そのままで、この小説は20世紀最大の予言小説と言われました。
ロバートソンは、もともと商船乗組員としての経歴を持ち、豪華客船が大型化・高速化していく現状を憂いていたとされています。
ロバートソンは、タイタニックの沈没事故の後スランプに陥り、ピストル自殺を遂げてしまったと言います。
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沈没したのは別の船だった!?船主が後に証言しなかった理由は×××だから!?
タイタニックには莫大な保険金が掛けられていました。
アメリカの保険会社だけで500万ドル(現在の価値で150億円)です。
これにイギリスの保険をあわせると、200万ポンド(現在の価値で300~390億円以上)という不自然なほど高額なものでした。
タイタニックの船主であるホワイト・スター・ライン社は、実は姉妹船の「オリンピック号」も造船していました。
オリンピック号は、外観や内装はタイタニック号とほぼ同じでした。
しかし、オリンピック号はタイタニック号の就航2ヶ月前に軍艦ホークと接触事故を起こしていました。そのため、耐久性能が下がって保険が掛けられませんでした。
資金繰りが悪化したホワイト・スター・ライン社は、オリンピック号とタイタニック号をすり替え、保険金をだまし取ろうと考えたと言われています。
タイタニックに乗船したホワイト・スター・ライン社の社長J・ブルース・イズメイは、不自然な行動を繰り返しました。
無理に速度を上げさせたり、氷山警告を無視したりしました。
イズメイは船主でしたが、乗客になりすまして、救命ボートにこっそり飛び乗ったと言われています。
他の生存者は裁判所の審問で生還の様子を証言しましたが、イズメイは沈黙を守り、真実を語ることはありませんでした。
→タイタニック!映画での実話な部分は?沈没事故の真相と生存者について
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