「となりのトトロ」は、田舎へ引っ越してきた草壁一家の娘たちが、不思議な生き物・トトロと交流する様子を描いた作品です。
草壁一家が田舎へ引っ越したのは、母の療養のためでした。
サツキとメイのお母さんの病気は何だったのでしょうか?
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サツキとメイのお母さんが入院していた病院のモデルは?
サツキとメイのお母さんの病気が何だったのかは、作中では明かされていません。
ヒントになるのは、「七国山病院」に入院しているということです。
七国山は、所沢市の隣にある八国山緑地がモデルとされています。
八国山緑地は、東村山市にある緑地で都立公園となっています。
敷地内に新山手病院があります。
新山手病院は、サツキとメイのお母さんが入院していた「七国山病院」のモデルです。
新山手病院は、昭和14年に財団法人結核予防会により設立された保生園を元にしています。
現在も結核病棟は残っており、未だ全国に3万人程度の罹患者がいる結核の名残を感じさせます。
八国山緑地には、1942年に開業した東京白十字病院もあります。
この病院もメインは内科と呼吸器科です。
→となりのトトロ都市伝説!狭山事件との関係を検証、地蔵にメイの名が刻まれている?
となりのトトロの時代の結核の治療方法は?
「となりのトトロ」は、1950年代前半をモチーフにしていると言われています。
宮崎駿監督が「テレビの無かった時代をイメージした」と発言しているからです。
白黒テレビが一般家庭に普及したのは、1950年代後半から1960年代前半にかけてです。
1950年には20歳になるまでに、実に54.8%の人が結核に感染していました。
1950年代の結核治療は、公立病院での療養所治療が行われていました。
欧米諸国で結核患者を「一般病院の陰圧室での部屋単位の収容」に切り替えたのは、1970年代です。
結核に対する初めての薬である、ストレプトマイシンが発見されたのは1944年のことでした。
ストレプトマイシンの国内生産が始まったのは1950年です。
また、結核予防法による公費治療が導入され、化学療法が全国に普及しました。
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サツキとメイのお母さんのその後は?無事に退院している!
サツキとメイのお母さんは、風邪をひいて退院が一時延びてしまいます。
しかし、ネコバスでたどり着いた病院で、サツキとメイはお母さんが無事でいる様子を確認します。
エンディングでは、サツキとメイのお母さんは無事に退院しています。
物語の終盤で、お母さんは子供たちのことを次のように語っています。
「あの子たち、見かけよりずっと、ムリしてきたと思うの。サツキなんか聞き分けがいいから、なおのこと、かわいそう。退院したら、今度はあの子たちに、うんとわがままをさせてあげるつもりよ」
スタッフロールでは、お母さんが退院した後のことが描かれています。
お母さんは娘たちと一緒にお風呂に入っています。
メイも、自分より小さい子供たちを率いて電車ごっこをしたりしています。
お母さんの病気でほんのちょっと大人になったメイの姿が、そこには描かれています。
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