火垂るの墓!西宮のおばさんと清太達との関係!叔母は本当に悪なのか!?

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年齢とともに感じ方が変わると言われるのが、「火垂るの墓」の西宮のおばさんです。
清太に近い年齢の頃は、「なんて意地悪なおばさんなんだ!」と怒ったものです。
おばさんが悪の権化のように見えたりしました。

ところが、自分が中年になって、西宮のおばさんに近い年齢になると、なんだか気持ちが分かるようになりました。「火垂るの墓」の西宮のおばさんは本当に悪なのでしょうか?

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火垂るの墓は戦争孤児の物語!戦争孤児は当時×××人いた

「火垂るの墓」の清太と節子がおばさんの家に身を寄せたのは、父親が戦争に出て、母親も空襲で失ったためです。
昭和20年に入ると、日本全土への都市無差別攻撃が行われ、保護者を失う子供が急増しました。

戦争によって両親を失った子供は、「戦争孤児」と呼ばれます。
清太と節子は、戦争孤児でした。

戦争孤児は、終戦から3年経った昭和23年の調査でも12万3000人いたとされています。
国は、終戦直後の昭和20年9月に戦争孤児の保護策を打ち出しています。
子供達の受け皿とされたのは、個人の家、それに加えて施設での集団保護でした。

清太と節子のように、親戚の家を頼る戦争孤児は珍しくありませんでした。

しかし、清太と節子のように、親戚から邪魔者扱いされる戦争孤児もまた、少なくありませんでした。いたたまれず、親戚の家を飛び出し、雨露しのげる駅に居つくようになった戦争孤児は、稀ではありません。

全国の駅を転々とし、施設にたどり着くまでに10箇所近くを移動した戦争孤児がいます。
路上生活が2年に及んだ事を、のちに証言している戦争孤児もいます。

→火垂るの墓の謎!火垂るではなく蛍の本当の意味とは?

戦争孤児の生活はどんなものだったのか?後年明かされた生活実態は?

12万3000人の戦争孤児の行方は、実はよく分かっていません。
その多くが行き場を失い、人々が群がる闇市の近くにたむろしました。
彼らは「浮浪児」と呼ばれました。浮浪児の溜まり場の一つが上野駅の地下道だったとされています。

大人達は、浮浪児を蔑み、警戒しました。
浮浪児の中には、靴磨きをしたり、新聞売りをしたりする子供もいました。
その一方で、スリ等の犯罪に手を染める子供も少なくありませんでした。

行政は強制手段に出て、浮浪児を街から施設に移す事にしました。
それは「刈り込み」と呼ばれました。
刈り込みによって養育院に連れてこられた子供達は、逃げないように裸にされました。

それと並行して行われたのが、個人宅への保護委託と養子縁組の斡旋でした。
保護を委託された親戚の家で、戦争孤児達は厄介者扱いでした。
仏壇にあげたご飯しか食べさせてもらえなかったという戦争孤児もいます。

畳の上に行ったらいけないと言われ、板の間にしか寝られなかったという戦争孤児もいます。

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→火垂るの墓!貯金7000円は現在では幾ら位?金があるのに栄養失調になるのは何故

西宮のおばさんは本当に悪だったのか⁉︎食べ盛りでもお代わりは出来なかった

「火垂るの墓」の西宮のおばさんと清太の関係に近い、12歳の戦争孤児の男性は、後日、預け先での生活を次のように語っています。

「力仕事、マキ割り、水汲み、そんなの当たり前で、私が食べざかりですから、ご飯って茶碗を出すと、『お茶か水か』って言うんですもの。『ご飯か』って聞かないですもの。」

「自分という性格を殺していっしょに家族といないと生きていけないもの」

戦中戦後の食糧難の中、自分の子供を飢えさせないだけで、誰もが必死でした。
親戚の子供といっても、自分の子供と分け隔てせざるを得ないのが、当時の実情でした。

「火垂るの墓」に描かれた清太兄妹とおばさんとの関係は、平和な今日では、歪んだものに映ります。

ただし、戦争孤児達が語る当時の実情に照らし合わせた時、おばさんの言動は、決して過激なものとは言えません。戦争孤児達は、自らの生活を長い間封印してきました。
悲惨な体験ゆえ、思い出したくないという理由からです。

「なぜ生き残ったのか?」

そうした思いを噛みしめ、戦争孤児達は行き場を失ってさまよいました。
「火垂るの墓」のおばさんと清太兄妹の関係は、戦争孤児と預け先の関係をほぼ忠実に写しながら、多少とも平和な時代に受け入れられやすい形に変形したものかもしれません。

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→火垂るの墓!清太と節子は裕福な家庭で父親は海軍大佐?

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